YANG SEPERTI CATATAN LAPANGAN

ジャカルタ在住の35歳です。インドネシア語とスンダ語を学習中。

Chełmińskie Przedmieścieの集合住宅。

トルンの旧市街の北、Chełmińskie Przedmieście(ヘウムニスキエ・プシェドミエシチェ)と呼ばれる行政区(Podział administracyjny)に位置する集合住宅の写真。この地区にある集合住宅群の一つに、半年間だけ居住していたことがある。2012年の今日といえば、インターネットで賃貸物件の情報を検索し、オーナーの連絡先にアポイントを取っていた時期だ。

 

この辺りからは中世以来、ここから40kmほど北西に離れたヘウムノ(Chełmno)という街を結ぶ交易路が延びていた(第二次世界大戦中に、いわゆるヘウムノ強制収容所が置かれた街とは別のヘウムノである)という。ヘウムノとトルンは同じヴィスワ川沿いの街であるが、河川を利用した交易があったとしても遠回りになってしまう。しかしながら、当時の歴史的建造物は度重なる戦争などで破壊されてしまっていると聞き、旧市街のような中世の面影を感じ取ることはできない。

 

この集合住宅、私が住んでいた部屋は内装も綺麗であり、パネルヒーターのおかげで外気温が零下15度を下回った日でも室内は暖かだったが、建物の外見は、この年訪ね歩いてきた、旧共産圏の地方都市でよく目にしてきたような無機質な雰囲気の佇まいだった。この地区より北側で見られる住宅地は、1950年代以降の都市圏の拡大に伴って、1970年から80年に開発されたと耳にしたが、30万都市ビドゴシチェ(Bydogoszcz)とを結ぶ幹線道路に沿ったこの辺りの集合住宅は、いつ頃にどのような経緯で建てられたのだろうか。

f:id:jakaeduc:20180912122023j:plain

2012年9月11日撮影。

 

f:id:jakaeduc:20180912122146j:plain

2012年9月10日撮影。