YANG SEPERTI CATATAN LAPANGAN

ジャカルタ在住の35歳です。インドネシア語とスンダ語を学習中。

Gn. Tangkuban Perahu(タンクバンプラフ山)のハザードマップ(前編)。

Padaleunyi(パダレウニ)高速道路の本線から離れ、Pasteur(パストゥール)料金所へ向かう際、左手に見える大きな火山がTangkuban Perahuである。Sangkuriang(サンクリアン)の説話で知られており、バンドゥン近郊に点在する有名な観光地の一つに挙げられる。

f:id:jakaeduc:20180913204457j:plain

2013年8月16日撮影。僅かに噴煙のようなものが・・・。

 

山頂の標高は2084mでありながら、標高1800m前後にある火口付近までは、容易に自動車でアクセスできる(登山口に料金所があり、通常の入山料とは別に、外国人料金が設定されている。2013年8月当時はKITAS(滞在許可カード)を提示して安くなった。2015年8月に行った時は親族と車で行ったので、通常料金だった)。最初の公式な登頂記録は1713年で、登頂者は当時のオランダ東インド会社の総督Abraham van Riebeecekという情報を目にする。彼は探検家の側面も持ち合わせていたようだが、当時の地域住民にとっては、この山はどのような存在だったのか。この辺りの経緯については、もうちょっと紐解いてみると興味深いのかもしれない。

f:id:jakaeduc:20180913204431j:plain

2013年8月16日撮影。岩を削って階段状にしている。

 

さて、このタンクバンプラフ山は、過去に何度も噴火が発生している。記憶に新しいのは2013年10月の計11回におよぶ水蒸気爆発である。私は2月や3月で火山活動が活発化していたニュースを知らずに、その年の8月に火口付近まで観光で訪れている。当時はレバラン(断食明け大祭)の時期だったためか、近隣からやってきた観光客で賑やかだったのを覚えている。

regional.kompas.com

2013年10月9日付のKOMPAS紙の記事。火山の北側に位置するSubang(スバン)県、とりわけ火山に接するCiater郡(温泉地として有名)やSagalaherang郡で24時間体制の警戒を強めているという内容。

 

また近年では1983年にも噴火を起こしており、バンドゥンでも当時の生活に支障が生じたと妻が語ってくれる時がある。次に引用する記事によれば、火口から上空150mに噴煙が発生したとされている。その後も数年おきに火山性微動の地震の発生をはじめとする火山活動が活発化している。

www.kotasubang.com2013年10月17日付のKOTASUBANG.COMの記事では、1910年の噴火の様子を収めた写真が紹介されている。山の写り方から、おそらく北東のSubang側から撮影されたものだと推測できる。噴煙よりも、車輪が頻繁に通過しているであろう幅員の大きな道路や、秩序だった電線の配置に目を奪われるのだが・・・。

 

エネルギー・鉱物資源省(ESDM)の地質庁(Badan Geologi)で紹介されているページは網羅的で参考になる。全9ぺージのうち、1829年以降の噴火史が簡単に記載されている。

www.vsi.esdm.go.id

文章中には「有史以来、banjir laharのような二次的な危険は発生していない」とあるが、banjir laharの意味するところは?土石流の類?と思っていたところ、中筋ほか3名(1981)「メラピ火山と有珠火山における熱雲堆積物」、新砂防34-1、pp.53-61の報告論文で、火山文献に記載されたbanjirやlaharの意味を火山学の観点から考察した内容を見つけた。laharを「日本の土石流と類似」、banjirを「日本の土砂流や洪水流に相当」としたうえで、banjirには「一部ではラハールを含めた広義の意味で用いられることもある」としている(そもそもlahar自体が、古くからジャワで使われている言葉である)。

www.jstage.jst.go.jp

  

先のESDMのサイトには「有史以前の火山の成長過程では火砕流が生じ、laharが発生した」とあるので、今後の火山活動次第では発生する可能性もあるといえる。そのESDMが2005年に作成したハザードマップが、国家防災庁(BNPB)のウェブサイトで公開されている。

Peta Kawasan Rawan Bencana (KRB) Gunung Tangkuban Perahu | Geospasial – BNPB

 

(後編に続く)